2005年 12月 31日
Crash Down No. 30 ~8~ |
にごが飛び退ると、その目に奏の胸元の空間が爆発する映像がゆっくりと流れてきた。
彼女が身に着けていた水晶のペンダントの鎖がはじける。
ついで、肉がはじけた。
奏の目は虚空を見つめて、衝撃で首を前に倒したかと思うと、大きく後に反らせる。
鮮血のカーテンがにごと奏の間に広がり、奏の姿を隠す。
にごが着地すると、奏は後方の壁にたたきつけられるところだった。
急速に世界の速度が戻ってきて、にごの耳に弾けた水晶の転がる乾いた音が響く。奏は声にならない声で「何で」と繰り返している。まだ息はあるのだろうが、長くはもたない―――。
そこへ足音もなく、暗闇からゆっくりと赤い服の男が現れた。その存在感に暗闇がより深さを増し、空気を張り詰めさせる。
奏の横に立ち、その哀れな姿を一瞥すと、にごを無視して、奏に言葉をかけた。
「一連の暗殺の手際の良さからどれほどの術式者かと思えば。単なる腑抜けだったとは。これほど警戒する必要は無かったな」
「……」
「お前の色素の薄さ、術式者に特有の脱色によく似ていたのでな」
その言葉に、にごも気がついた。奏は髪も瞳もハシバミ色で、肌は透けるように白いことを。まるで術式者の最大の特徴、「白化個体」であるかのように。
電の情報を持っているのは、電を見た者か電を殺した者のどちらかであるはずだ。それなのに無条件で奏を前者だと判断したのは、無意識に術式者の特徴と照らし合わせていたからだろう。
―――白化個体でない彼女が、術式者であるわけがない。
その思い込みが、にごの警戒を解き、混乱を引き起こしていたのだった。
(待てよ……)
にごは眉間にしわを寄せた。何かが狂っている気がする。
男は相変わらずにごを無視している。
「お前が死ぬまで、あと少し時間がある。Crash Down No. 30を……」
男の言葉の最後は、奏に届くことはなかった。
にごと男、二人の見つめる中、奏の体は急速に干からびていったのだ。胸からあふれ出していたおびただしい血が音を立てて蒸発し、奏は指先からカラカラと音が聞こえるほどに水分を失っていった。眼窩がくぼみ、目は砂となり風に流され、髪の毛がパラパラと抜け落ちていった。
そして、一瞬の後にミイラになってしまった。
『馬鹿な……』
二人が異口同音につぶやく。
(何なんだよ! 何なんだよ!)
にごは混乱した頭で考えていた。男も戸惑いを隠せずに、干からびた奏の姿を見つめている。
(人がいきなりミイラになるなんて考えられねえ!! しかもまだ息があった。死んで無い状態から急に! 急に血が蒸発しやがった!!)
男が奏の頭を踏み砕くと、それはあっさりと風に流されていった。奏は確実に、死んでいる。
(おかしい! おかしい事だらけだ!! そうだよ、大体なんで白化個体でもないのに術式が……)
さっきから感じている違和感はそれだ。術式を操れるのは術式者でしかないはずだ。なのに白化個体でない奏は術式を操る。
その時、にごの脳裏に、いつかのアスファルトドロップ号での電とのやりとりが蘇った。
それは、「超高性能の飛行艇」と銘打たれたアスファルトドロップ号を購入してすぐのことだったはずだ。飛行艇の性能自体は非常に優れていたが、AIのトラットはまるっきり旧式で、トラット任せに出来るのは自動航行くらいのものだった。
それ以外にもAIとリンクしている機能は山ほどあったのだが、トラットの処理が追いつかずにフリーズしてしまうため全く使われていなかったのだ。
頭を詰め替えようというにごの主張に、
「アスファルトドロップ号のAIは特殊なデバイスみたいなんだ。詰め替えようにも詰め替えられないよ」
というのが電の言い分だった。
電は仮想窓でなにやら調整しながら、
「でも、ホントにどうにかならないかな。過負荷で熱持っちゃうから液体窒素で強制的に冷やして稼動させてるくらいだからなぁ」
にごの中で、パズルのピースがぴたりとはまった。
所在地、所有者、形状、材質一切不明。「最も美しい人工物」の通り名で知られる、Crash Down No. 30。
高度な演算処理によって効果を得る術式。
術式者によって守られていたCrash Down No. 30。
その術式者は白化個体でもないのに、術式を操る事の出来る奏。
奏は胸を抉られ、とたんにミイラになった。
にごの中で思考の霧が晴れていく。ミイラになった奏と、ミイラになる前の奏、違うところはたった一つしかないはずだ。
男はにごを観察していた。手ごわい相手だが今は手負いだ。右手と左足に傷を負ったにごを仕留めるのは、いくらか簡単になっているだろう。
男がそんな思惑でみつめている事にも気づかず、にごは思考の世界に没頭していた。
術式は高性能の船。
そのAIは奏。
奏の負荷を逃がす装置が無くなって―――。
にごの目に、鎖のちぎれた水晶のペンダントが映った。
(違うのはたった一つ。Crash Down No. 30を身に着けてるかそうじゃないか……!!)
にごの視線の意味に、男も同時に気がついた。
(術式者が正体を隠しきれなかった訳ではなく、もともと術式者ではなかったのか)
男が視線を戻すと、きっちりと、爆発に向けて力を溜めるにごとにらみ合う形となった。例え手負いでも、手を抜いて勝てる相手ではない。男もににごの行動を計算し、それらを潰す術式を計算していく。
男とにご、二人のちょうど真ん中にCrash Down No. 30が転がっている。
もし男が術式で地面を吹き飛ばし、衝撃でCrash Down No.30を手元に引き寄せようとしたなら、にごの拳が男の急所を穿つ事は間違いがない。にごが入手を優先しなどすれば、たちまちに術式に命を絶たれる事は明白だ。
二人の正面対決は避けられない。
ゆっくりと、気温が下がっていく。闇が深まる。どろりとした液体へと、この場を取り巻く空気が入れ替わっていく。
「さっきまで無視しといて。都合がいいな」
「その必要があるか、ないかの違いだ」
「宇想、あんたはいつもそうだ」
宇想は鼻を鳴らす。
「昔の事は忘れるようにしている」
「都合がいいな」
宇想が両腕をゆっくりと持ち上げる。にごは拳を固め、腰を落とす。
「消えろ。今の手負いのお前では俺には勝てん」
「やってみるまで分かんねえだろ。あの頃とはだいぶ違うぜ?」
にごは挑発的に口を歪める。
「その言葉―――その身でしかと受け止めろ!!」
空気が裂けた。
余韻を残してアスファルトが崩れ去る。何とか術式の効果範囲からは抜け出せていたものの、爆風に体勢を崩しかけたところに上から大量のコンクリートが降ってきた。宇想は初撃とほぼ同時に、両脇の建物の壁をそぎ落とすように空間を圧縮していたのだ。にごの左足は傷によって踏ん張りが利かない。罠だと思いつつも右足に力を込めてコンクリートの雨をかわす。
そこへ、宇想自身が飛び込んできた。てっきり術式でくると思っていたにごは不意を突かれて反応が遅れた。宇想は自らの足元に術式を打ち込み、驚異的反射を誇るにごでさえも予測不可能な速度で迫ってくると、その右拳をにごの顔面に打ち付けた。まぶたの裏に星が散る。顔面にヒットした拳のダメージは大きく、にごは崩れ去ったアスファルトの路地に叩きつけられた。
すぐさま立ち直るが、そこへ今度はアスファルトの槍を先兵とした宇想が飛び込んでくる。かわしようの無いその攻撃を一旦弾き、残りは全て受ける事にした。鈍い音が響く。生暖かい血の感触が腕や足を伝い、地面へと落ちていく。体の中心を守るように固めたガードに、容赦なくアスファルトの槍が突き刺さっていた。追い討ちの宇想が拳が繰り出される。にごはすばやく身をひねると首の皮一枚でその拳をやり過ごした。そのままのびきった腕を掴むと、予測不可能な宇想の勢いを逆に利用した、強烈な背負い投げを決めた。
ドラム缶を殴ったような音がして、宇想の体は地面に触れる直前で跳ねた。宇想の防御の術式だ。にごは地を蹴り宇想の後を追う。すでに体勢を立て直している宇想は狙い済まして、にごに蹴りを放った。
にご自身の勢いで効果を増した宇想の蹴りに、にごの体は吹き飛んだ。内臓へのダメージが、鮮やかな血の華となり軌跡を残す。完璧な蹴りだった。しかしすぐに、宇想はそれが最大の失敗であると気づいた。にごが倒れこむ先に、水晶のペンダントがある事に気づいたからだ。
急ぎ術式を構成するが間に合わない。にごは受身を取る手でCrash Down No. 30を掴むと、宇想に背を向けて一目散に駆け出した。
―――Crash Down No. 30 ~1~ へと続く。
Crash Down No. 30 第八話 <了>
彼女が身に着けていた水晶のペンダントの鎖がはじける。
ついで、肉がはじけた。
奏の目は虚空を見つめて、衝撃で首を前に倒したかと思うと、大きく後に反らせる。
鮮血のカーテンがにごと奏の間に広がり、奏の姿を隠す。
にごが着地すると、奏は後方の壁にたたきつけられるところだった。
急速に世界の速度が戻ってきて、にごの耳に弾けた水晶の転がる乾いた音が響く。奏は声にならない声で「何で」と繰り返している。まだ息はあるのだろうが、長くはもたない―――。
そこへ足音もなく、暗闇からゆっくりと赤い服の男が現れた。その存在感に暗闇がより深さを増し、空気を張り詰めさせる。
奏の横に立ち、その哀れな姿を一瞥すと、にごを無視して、奏に言葉をかけた。
「一連の暗殺の手際の良さからどれほどの術式者かと思えば。単なる腑抜けだったとは。これほど警戒する必要は無かったな」
「……」
「お前の色素の薄さ、術式者に特有の脱色によく似ていたのでな」
その言葉に、にごも気がついた。奏は髪も瞳もハシバミ色で、肌は透けるように白いことを。まるで術式者の最大の特徴、「白化個体」であるかのように。
電の情報を持っているのは、電を見た者か電を殺した者のどちらかであるはずだ。それなのに無条件で奏を前者だと判断したのは、無意識に術式者の特徴と照らし合わせていたからだろう。
―――白化個体でない彼女が、術式者であるわけがない。
その思い込みが、にごの警戒を解き、混乱を引き起こしていたのだった。
(待てよ……)
にごは眉間にしわを寄せた。何かが狂っている気がする。
男は相変わらずにごを無視している。
「お前が死ぬまで、あと少し時間がある。Crash Down No. 30を……」
男の言葉の最後は、奏に届くことはなかった。
にごと男、二人の見つめる中、奏の体は急速に干からびていったのだ。胸からあふれ出していたおびただしい血が音を立てて蒸発し、奏は指先からカラカラと音が聞こえるほどに水分を失っていった。眼窩がくぼみ、目は砂となり風に流され、髪の毛がパラパラと抜け落ちていった。
そして、一瞬の後にミイラになってしまった。
『馬鹿な……』
二人が異口同音につぶやく。
(何なんだよ! 何なんだよ!)
にごは混乱した頭で考えていた。男も戸惑いを隠せずに、干からびた奏の姿を見つめている。
(人がいきなりミイラになるなんて考えられねえ!! しかもまだ息があった。死んで無い状態から急に! 急に血が蒸発しやがった!!)
男が奏の頭を踏み砕くと、それはあっさりと風に流されていった。奏は確実に、死んでいる。
(おかしい! おかしい事だらけだ!! そうだよ、大体なんで白化個体でもないのに術式が……)
さっきから感じている違和感はそれだ。術式を操れるのは術式者でしかないはずだ。なのに白化個体でない奏は術式を操る。
その時、にごの脳裏に、いつかのアスファルトドロップ号での電とのやりとりが蘇った。
それは、「超高性能の飛行艇」と銘打たれたアスファルトドロップ号を購入してすぐのことだったはずだ。飛行艇の性能自体は非常に優れていたが、AIのトラットはまるっきり旧式で、トラット任せに出来るのは自動航行くらいのものだった。
それ以外にもAIとリンクしている機能は山ほどあったのだが、トラットの処理が追いつかずにフリーズしてしまうため全く使われていなかったのだ。
頭を詰め替えようというにごの主張に、
「アスファルトドロップ号のAIは特殊なデバイスみたいなんだ。詰め替えようにも詰め替えられないよ」
というのが電の言い分だった。
電は仮想窓でなにやら調整しながら、
「でも、ホントにどうにかならないかな。過負荷で熱持っちゃうから液体窒素で強制的に冷やして稼動させてるくらいだからなぁ」
にごの中で、パズルのピースがぴたりとはまった。
所在地、所有者、形状、材質一切不明。「最も美しい人工物」の通り名で知られる、Crash Down No. 30。
高度な演算処理によって効果を得る術式。
術式者によって守られていたCrash Down No. 30。
その術式者は白化個体でもないのに、術式を操る事の出来る奏。
奏は胸を抉られ、とたんにミイラになった。
にごの中で思考の霧が晴れていく。ミイラになった奏と、ミイラになる前の奏、違うところはたった一つしかないはずだ。
男はにごを観察していた。手ごわい相手だが今は手負いだ。右手と左足に傷を負ったにごを仕留めるのは、いくらか簡単になっているだろう。
男がそんな思惑でみつめている事にも気づかず、にごは思考の世界に没頭していた。
術式は高性能の船。
そのAIは奏。
奏の負荷を逃がす装置が無くなって―――。
にごの目に、鎖のちぎれた水晶のペンダントが映った。
(違うのはたった一つ。Crash Down No. 30を身に着けてるかそうじゃないか……!!)
にごの視線の意味に、男も同時に気がついた。
(術式者が正体を隠しきれなかった訳ではなく、もともと術式者ではなかったのか)
男が視線を戻すと、きっちりと、爆発に向けて力を溜めるにごとにらみ合う形となった。例え手負いでも、手を抜いて勝てる相手ではない。男もににごの行動を計算し、それらを潰す術式を計算していく。
男とにご、二人のちょうど真ん中にCrash Down No. 30が転がっている。
もし男が術式で地面を吹き飛ばし、衝撃でCrash Down No.30を手元に引き寄せようとしたなら、にごの拳が男の急所を穿つ事は間違いがない。にごが入手を優先しなどすれば、たちまちに術式に命を絶たれる事は明白だ。
二人の正面対決は避けられない。
ゆっくりと、気温が下がっていく。闇が深まる。どろりとした液体へと、この場を取り巻く空気が入れ替わっていく。
「さっきまで無視しといて。都合がいいな」
「その必要があるか、ないかの違いだ」
「宇想、あんたはいつもそうだ」
宇想は鼻を鳴らす。
「昔の事は忘れるようにしている」
「都合がいいな」
宇想が両腕をゆっくりと持ち上げる。にごは拳を固め、腰を落とす。
「消えろ。今の手負いのお前では俺には勝てん」
「やってみるまで分かんねえだろ。あの頃とはだいぶ違うぜ?」
にごは挑発的に口を歪める。
「その言葉―――その身でしかと受け止めろ!!」
空気が裂けた。
余韻を残してアスファルトが崩れ去る。何とか術式の効果範囲からは抜け出せていたものの、爆風に体勢を崩しかけたところに上から大量のコンクリートが降ってきた。宇想は初撃とほぼ同時に、両脇の建物の壁をそぎ落とすように空間を圧縮していたのだ。にごの左足は傷によって踏ん張りが利かない。罠だと思いつつも右足に力を込めてコンクリートの雨をかわす。
そこへ、宇想自身が飛び込んできた。てっきり術式でくると思っていたにごは不意を突かれて反応が遅れた。宇想は自らの足元に術式を打ち込み、驚異的反射を誇るにごでさえも予測不可能な速度で迫ってくると、その右拳をにごの顔面に打ち付けた。まぶたの裏に星が散る。顔面にヒットした拳のダメージは大きく、にごは崩れ去ったアスファルトの路地に叩きつけられた。
すぐさま立ち直るが、そこへ今度はアスファルトの槍を先兵とした宇想が飛び込んでくる。かわしようの無いその攻撃を一旦弾き、残りは全て受ける事にした。鈍い音が響く。生暖かい血の感触が腕や足を伝い、地面へと落ちていく。体の中心を守るように固めたガードに、容赦なくアスファルトの槍が突き刺さっていた。追い討ちの宇想が拳が繰り出される。にごはすばやく身をひねると首の皮一枚でその拳をやり過ごした。そのままのびきった腕を掴むと、予測不可能な宇想の勢いを逆に利用した、強烈な背負い投げを決めた。
ドラム缶を殴ったような音がして、宇想の体は地面に触れる直前で跳ねた。宇想の防御の術式だ。にごは地を蹴り宇想の後を追う。すでに体勢を立て直している宇想は狙い済まして、にごに蹴りを放った。
にご自身の勢いで効果を増した宇想の蹴りに、にごの体は吹き飛んだ。内臓へのダメージが、鮮やかな血の華となり軌跡を残す。完璧な蹴りだった。しかしすぐに、宇想はそれが最大の失敗であると気づいた。にごが倒れこむ先に、水晶のペンダントがある事に気づいたからだ。
急ぎ術式を構成するが間に合わない。にごは受身を取る手でCrash Down No. 30を掴むと、宇想に背を向けて一目散に駆け出した。
―――Crash Down No. 30 ~1~ へと続く。
Crash Down No. 30 第八話 <了>
by embryo_3
| 2005-12-31 22:59
| CD30