2006年 04月 21日
―――管理教育の悪夢 |
今日の講義は管理教育の弊害について、といえば分かりやすいかな。
まあ「管理教育ってこんなに悪い事を起こしたんですよー」という説明というか、なんかそんな感じ。
高校の管理教育ってのは90年代から本格化してきて、現在それは高校だけでなくて大学にまで発展してきてるって話。
偶然少し前に管理される側と管理の必要性について考えてたところだったからすげータイムリー。
少なくともうちの大学では、2005年前後から管理教育的な発想ってのが学校の方針を決めるようになってしまって、講義への出席義務化であるとか、GPA(Grade Point Average:成績平均化=全教科の評価を得点に換算して全学部を一元化する考え方)とか、まーそれはそれは面白くもない教育方針がふつーに了承されようとしている。
ここで考えるわけよ。
荒れる成人式。
20歳という旅立ちを前に気を引き締められない人々ってのはコドモなわけで、オトナになりきれてないわけよ。
オトナとは何か、ロックの思想で言えば「自由を理解している」人。これは現代の教育がその影響をモロに受けてる事を考えれば根幹としては外せないと考える。
自由を理解する事が出来る人だけがオトナであって、それ以外はコドモであって管理しなきゃいかん、と言ってる。
で、逆説的に、
「管理されつづけるとコドモはいつまで経ってもオトナになりきれないんじゃないのか?」
とか考えるわけ。
90年代から続く管理教育の弊害によってコドモがいつまでたってもオトナ化出来ずにいるんじゃねえの? とかね。
コドモ=管理対象が真である時、管理対象=コドモというのも真なわけよ。
オトナ化のためには突き放すことも必要なんじゃねえの?
戦前戦後はそれが中学生くらい、まあ要するに労働力になるかならないかの線で区切られてて、もちろんもっと前の時代は生まれたときからオトナだったんだけどね。
現代は「就職して/結婚して、落ち着く」って表現も表すように、「社会人になる」って「事実」がオトナ化への第一歩のようだね。
それはまずいんじゃねえの? まずいと思うよ。もっと自分からオトナになろうぜ。
なんでかって、突き放されないとオトナになれないなら、突き放される練習をしないとだめだ。
急に車を運転できないように、急にオトナにはなれないんだよ。
その練習の場所が学校なわけさ。
だって考えてもみなよ。毎日同じ時間に起きて、いつも同じ作業をこなして、いつも通りに帰る、これ学校も社会も一緒だよ。
トヨタで働いてみて思ったのは、学校って本当に社会の縮図なんだなって事。アホもいれば天才もいて、みんな同じ事を毎日繰り返し、効率だとか衝突だとか色々あって、形成されていくのよ。
そのぬるいヴァージョンが、学校。本番が社会。
だからね、学校はもっと突き放すべきなんだよ。かりそめの自由を与えないといけない。
その中で迎合するかシュプレヒコールをあげるかを選択するのは俺達なんだから。
俺は漫画の主人公のようにピンチを必ず脱出できるわけじゃねえけど、それもまた、俺の人生なのよ。
まあ「管理教育ってこんなに悪い事を起こしたんですよー」という説明というか、なんかそんな感じ。
高校の管理教育ってのは90年代から本格化してきて、現在それは高校だけでなくて大学にまで発展してきてるって話。
偶然少し前に管理される側と管理の必要性について考えてたところだったからすげータイムリー。
少なくともうちの大学では、2005年前後から管理教育的な発想ってのが学校の方針を決めるようになってしまって、講義への出席義務化であるとか、GPA(Grade Point Average:成績平均化=全教科の評価を得点に換算して全学部を一元化する考え方)とか、まーそれはそれは面白くもない教育方針がふつーに了承されようとしている。
ここで考えるわけよ。
荒れる成人式。
20歳という旅立ちを前に気を引き締められない人々ってのはコドモなわけで、オトナになりきれてないわけよ。
オトナとは何か、ロックの思想で言えば「自由を理解している」人。これは現代の教育がその影響をモロに受けてる事を考えれば根幹としては外せないと考える。
自由を理解する事が出来る人だけがオトナであって、それ以外はコドモであって管理しなきゃいかん、と言ってる。
で、逆説的に、
「管理されつづけるとコドモはいつまで経ってもオトナになりきれないんじゃないのか?」
とか考えるわけ。
90年代から続く管理教育の弊害によってコドモがいつまでたってもオトナ化出来ずにいるんじゃねえの? とかね。
コドモ=管理対象が真である時、管理対象=コドモというのも真なわけよ。
オトナ化のためには突き放すことも必要なんじゃねえの?
戦前戦後はそれが中学生くらい、まあ要するに労働力になるかならないかの線で区切られてて、もちろんもっと前の時代は生まれたときからオトナだったんだけどね。
現代は「就職して/結婚して、落ち着く」って表現も表すように、「社会人になる」って「事実」がオトナ化への第一歩のようだね。
それはまずいんじゃねえの? まずいと思うよ。もっと自分からオトナになろうぜ。
なんでかって、突き放されないとオトナになれないなら、突き放される練習をしないとだめだ。
急に車を運転できないように、急にオトナにはなれないんだよ。
その練習の場所が学校なわけさ。
だって考えてもみなよ。毎日同じ時間に起きて、いつも同じ作業をこなして、いつも通りに帰る、これ学校も社会も一緒だよ。
トヨタで働いてみて思ったのは、学校って本当に社会の縮図なんだなって事。アホもいれば天才もいて、みんな同じ事を毎日繰り返し、効率だとか衝突だとか色々あって、形成されていくのよ。
そのぬるいヴァージョンが、学校。本番が社会。
だからね、学校はもっと突き放すべきなんだよ。かりそめの自由を与えないといけない。
その中で迎合するかシュプレヒコールをあげるかを選択するのは俺達なんだから。
俺は漫画の主人公のようにピンチを必ず脱出できるわけじゃねえけど、それもまた、俺の人生なのよ。
by embryo_3
| 2006-04-21 22:58
| 日記