2005年 12月 30日
Crash Down No. 30 ~6~ |
倉庫を出るとすでに日は落ち、ネオンの輝きで夜空が侵食されていた。アリエドで唯一楽しめないものは星空だけだというのは冗談ではない。上空では緑や赤、ピンクや白の燐光が藍色に染まるべき夜空を押し上げている。夜空の抵抗の証しと言わんばかりに闇と光の境界線はぼんやりとしていた。ときおり一条のレーザーが夜空を切り裂き、リンクを滑るスケート選手のように鮮やかに模様を描く。
にごは一度ぶるっと身震いをして走り出した。電の居場所は分からないが、分からないからこそ足を使うしかない。人を探す最も単純な方法は同じ道を通る事だ。目的地は菜花堂。電がARIAを出てから向かった可能性が高いのは、そこだ。
考えがまとまったら行動は素早く。目的はシンプルに、行動はパワフルに行かなければ。
人ごみをかわして歩く男の背中はともすればすぐに見失ってしまいそうだった。電は人の波をすり抜けていく赤い服の男の後を必死に追っていた。
男はぶらぶらとあちらの店、こちらの店をひやかして歩いていた。一つの通りを端から端まで移動して、隣の通りに移る。隣の通りも同じように渡りきると、また隣の通りに入っていく。
尾行に気付いて電を巻こうとしているというわけではない。急にわき道に逸れたり人ごみを移動したりはしているが、それは目的も無く歩く人のそれだ。通りの中では大半が彼と同じように歩いている。
自然な行動をしているのだが、彼には赤と白の二色しかない。それも特別に白く、特別に赤い。一見して不自然で目立ちすぎるその存在はしかし、なぜかその姿を捉えるのが難しかった。
電もそれに気付いている。彼は人ごみで完全に存在感を消していた。今こうして目に捉え、ずっと背中を見つめて歩いているからこそ尾行できているが、一度でも目を逸らしてしまえば、たちまちに群集の一人となって電の視界に入ることはなくなるだろう。
電は注意深く、尾行を続けていた。
菜花堂の明かりはすでに落ちていて、店の入り口には“CLOSED”と書かれた看板が下がっていた。通りでは運河の河岸で屋台が営業を始めていて、アリエドの街はちょうど夜へと移る時間帯に入ってしまっている。通りの端の方にある菜花堂の周りは中央辺りと比べるとやや人通りも少なく、通りすがる人に電の事を聞いても情報は望めそうに無い。
にごは思わず舌打ちをした
「一番確実だと思ったのに、コレか」
「あの、何か御用でしょうか?」
声に顔を向けると、店の主人である奏が店の横の路地から出てきたところだった。
「この店の人?」
「はい、主人の奏です。何か御用ですか?」
「ちょうど良かった。実は人を探してて―――」にごは帽子を取り出して見せた。「こういう帽子をかぶった、俺と同い年くらいの女の子を探してるんだ。昨日ここに来たと思うんだけど、覚えてないかな?」
「ああ、この帽子の人なら―――」
その時、にごの背骨を何かが走った。背骨の根元からうなじまで一気に粟立つような感覚に、にごは本能的に奏を抱えて、先ほど奏が出てきた通路に飛び込んだ。
一瞬遅れて金属を打ち合わせたような音が響く。つい先ほどまで二人が立っていた空間が歪んで爆発した。通りを歩く人は何事かと目を見張る。
にごと奏が倒れている場所に術式が打ち込まれ、にごが奏を守るように路地の奥へと転がって逃げる。
事態を察した通行人は蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、あっという間に菜花堂の周りには誰もいなくなった。
「くそっ。猟犬でも飼ってんのか!! まさかこんなに早くかぎつけられるとはな」
にごは立ち上がり、呆然とした顔の奏の手をとり立ち上がらせる。攻撃は、「二人一緒に始末する」ために放たれていた。もしCrash Down No. 30を狙う者だけを殺そうとするなら、その頭を吹き飛ばせれば十分だ。しかし先ほどの攻撃は明らかに、にごと奏、二人ともを殺そうとする規模の攻撃だった。
(俺にしゃべられるとまずい情報を持ってるって事だよな)
にごは奏をまじまじと観察する。奏は何が起こっているか分からないという顔でにごを見つめ返す。
「肩、外れないように気をつけてろよ。安全なところまで逃げるぞ」
言うが早いか奏の手をとりにごは路地の奥、人通りの少ないところを目指して走り出した。
電は途方にくれていた。きっかけが一体何だったのかさえも定かではなくなっていた。ただ、ふと気づくと全く違う背中を追っていたのだ。
慌てて姿を探したが見つけることは出来なかった。自分自身が尾行中にそれを危惧していたにもかかわらず、完全に見失ってしまったのだった。
ゆったりとしたクェストロントの運河の流れを見ながら、電はため息をついた。クェストロントの運河はこのまま本来の川の流れに戻り、アスファルトドロップ号を停泊させている港につながる。菜花堂のあるダオンウェイヴの通りから、男を追っているうちに街の外に外にと歩いていったようだ。
「……どうしようもない、か」
時刻を確かめると、日付が変わるまであと数時間しかない。幸いに運河の渡し舟は24時間利用出来る。電は舟の係留所に向かって歩き出した。
(術式者であるあの男がCrash Down No. 30を持ってるって事で間違いはないと思うんだけどな)
そう思うからこそ、菜花堂にいたあの男を追ってきたのだ。
(そうじゃないと説明がつかない。Crash Down No. 30の正体に近づく=あの男に出会うって事で、だからこそ探してる人が術式で殺されてるって考えたんだけど……)
電は眉間にしわを寄せた。
(この街にこだわり続ける理由は何なんだろう。今私達が必死に探してる間にどこかの国に逃げちゃえば安全なのに。わざわざ目立つ方法でCrash Down No. 30がここにあるって証明してる……。殺すのが目的なのか、逃げられない理由があるのか。どちらにしても何か釈然としないんだよね。
―――何か見落としてる事があるのかな。凄い思い違いをしてるのかも)
舟の係留所の看板の明かりが見えてきて、電の意識が思考の世界から戻りはじめる。Crash Down No. 30に関係する今回の件については、その正体から今の状況まで、あやふやなところが多すぎた。
視野が欠けているのに見えていると思い込んでいる。そして何かが足りないと思うのだが、欠けている部分がどこなのかよく分からない。青い布の上で空のパズルを完成させようとしているような、頼りない感覚だった。
「もう、Crash Down No. 30って何なのよ」
頭の中に一杯になってしまった思考の渦を吐き出すように電が独りごつ。
「あなたを死に導くものよ」
その声に返答があった。声はハサミで紙を切るような音にかき消されつつ、次の瞬間、電の体は運河に投げ出されていた。
酷い頭痛のような感覚と運河の冷たい水の感触の中、薄れいく意識の中で最後に見た物はどこかで見たことのある女の姿だった。
Crash Down No. 30 第六話 <了>
にごは一度ぶるっと身震いをして走り出した。電の居場所は分からないが、分からないからこそ足を使うしかない。人を探す最も単純な方法は同じ道を通る事だ。目的地は菜花堂。電がARIAを出てから向かった可能性が高いのは、そこだ。
考えがまとまったら行動は素早く。目的はシンプルに、行動はパワフルに行かなければ。
人ごみをかわして歩く男の背中はともすればすぐに見失ってしまいそうだった。電は人の波をすり抜けていく赤い服の男の後を必死に追っていた。
男はぶらぶらとあちらの店、こちらの店をひやかして歩いていた。一つの通りを端から端まで移動して、隣の通りに移る。隣の通りも同じように渡りきると、また隣の通りに入っていく。
尾行に気付いて電を巻こうとしているというわけではない。急にわき道に逸れたり人ごみを移動したりはしているが、それは目的も無く歩く人のそれだ。通りの中では大半が彼と同じように歩いている。
自然な行動をしているのだが、彼には赤と白の二色しかない。それも特別に白く、特別に赤い。一見して不自然で目立ちすぎるその存在はしかし、なぜかその姿を捉えるのが難しかった。
電もそれに気付いている。彼は人ごみで完全に存在感を消していた。今こうして目に捉え、ずっと背中を見つめて歩いているからこそ尾行できているが、一度でも目を逸らしてしまえば、たちまちに群集の一人となって電の視界に入ることはなくなるだろう。
電は注意深く、尾行を続けていた。
菜花堂の明かりはすでに落ちていて、店の入り口には“CLOSED”と書かれた看板が下がっていた。通りでは運河の河岸で屋台が営業を始めていて、アリエドの街はちょうど夜へと移る時間帯に入ってしまっている。通りの端の方にある菜花堂の周りは中央辺りと比べるとやや人通りも少なく、通りすがる人に電の事を聞いても情報は望めそうに無い。
にごは思わず舌打ちをした
「一番確実だと思ったのに、コレか」
「あの、何か御用でしょうか?」
声に顔を向けると、店の主人である奏が店の横の路地から出てきたところだった。
「この店の人?」
「はい、主人の奏です。何か御用ですか?」
「ちょうど良かった。実は人を探してて―――」にごは帽子を取り出して見せた。「こういう帽子をかぶった、俺と同い年くらいの女の子を探してるんだ。昨日ここに来たと思うんだけど、覚えてないかな?」
「ああ、この帽子の人なら―――」
その時、にごの背骨を何かが走った。背骨の根元からうなじまで一気に粟立つような感覚に、にごは本能的に奏を抱えて、先ほど奏が出てきた通路に飛び込んだ。
一瞬遅れて金属を打ち合わせたような音が響く。つい先ほどまで二人が立っていた空間が歪んで爆発した。通りを歩く人は何事かと目を見張る。
にごと奏が倒れている場所に術式が打ち込まれ、にごが奏を守るように路地の奥へと転がって逃げる。
事態を察した通行人は蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、あっという間に菜花堂の周りには誰もいなくなった。
「くそっ。猟犬でも飼ってんのか!! まさかこんなに早くかぎつけられるとはな」
にごは立ち上がり、呆然とした顔の奏の手をとり立ち上がらせる。攻撃は、「二人一緒に始末する」ために放たれていた。もしCrash Down No. 30を狙う者だけを殺そうとするなら、その頭を吹き飛ばせれば十分だ。しかし先ほどの攻撃は明らかに、にごと奏、二人ともを殺そうとする規模の攻撃だった。
(俺にしゃべられるとまずい情報を持ってるって事だよな)
にごは奏をまじまじと観察する。奏は何が起こっているか分からないという顔でにごを見つめ返す。
「肩、外れないように気をつけてろよ。安全なところまで逃げるぞ」
言うが早いか奏の手をとりにごは路地の奥、人通りの少ないところを目指して走り出した。
電は途方にくれていた。きっかけが一体何だったのかさえも定かではなくなっていた。ただ、ふと気づくと全く違う背中を追っていたのだ。
慌てて姿を探したが見つけることは出来なかった。自分自身が尾行中にそれを危惧していたにもかかわらず、完全に見失ってしまったのだった。
ゆったりとしたクェストロントの運河の流れを見ながら、電はため息をついた。クェストロントの運河はこのまま本来の川の流れに戻り、アスファルトドロップ号を停泊させている港につながる。菜花堂のあるダオンウェイヴの通りから、男を追っているうちに街の外に外にと歩いていったようだ。
「……どうしようもない、か」
時刻を確かめると、日付が変わるまであと数時間しかない。幸いに運河の渡し舟は24時間利用出来る。電は舟の係留所に向かって歩き出した。
(術式者であるあの男がCrash Down No. 30を持ってるって事で間違いはないと思うんだけどな)
そう思うからこそ、菜花堂にいたあの男を追ってきたのだ。
(そうじゃないと説明がつかない。Crash Down No. 30の正体に近づく=あの男に出会うって事で、だからこそ探してる人が術式で殺されてるって考えたんだけど……)
電は眉間にしわを寄せた。
(この街にこだわり続ける理由は何なんだろう。今私達が必死に探してる間にどこかの国に逃げちゃえば安全なのに。わざわざ目立つ方法でCrash Down No. 30がここにあるって証明してる……。殺すのが目的なのか、逃げられない理由があるのか。どちらにしても何か釈然としないんだよね。
―――何か見落としてる事があるのかな。凄い思い違いをしてるのかも)
舟の係留所の看板の明かりが見えてきて、電の意識が思考の世界から戻りはじめる。Crash Down No. 30に関係する今回の件については、その正体から今の状況まで、あやふやなところが多すぎた。
視野が欠けているのに見えていると思い込んでいる。そして何かが足りないと思うのだが、欠けている部分がどこなのかよく分からない。青い布の上で空のパズルを完成させようとしているような、頼りない感覚だった。
「もう、Crash Down No. 30って何なのよ」
頭の中に一杯になってしまった思考の渦を吐き出すように電が独りごつ。
「あなたを死に導くものよ」
その声に返答があった。声はハサミで紙を切るような音にかき消されつつ、次の瞬間、電の体は運河に投げ出されていた。
酷い頭痛のような感覚と運河の冷たい水の感触の中、薄れいく意識の中で最後に見た物はどこかで見たことのある女の姿だった。
Crash Down No. 30 第六話 <了>
by embryo_3
| 2005-12-30 18:38
| CD30