2006年 01月 21日
―――背骨の痛みで眠れぬ夜は |
旅に人生を置く。またそれもいいよなぁ。
風の吹くままに、人づてに聞いた絶景を眺めに、たまには良い土地にとどまって。
旅をしたいと思う心を綴っているだけでこちらまで旅へと誘う。おくのほそ道は素晴らしい作品だ。
なぜここまで人は旅に出たがるのか。それはHOMEがあるからだ。
松尾芭蕉も旅から帰ってしばらくは落ち着いてるんだけど、春になると気もそぞろ、どうにも旅に出たくて仕方なくなってしまう。
それは全て帰ってくるべき場所、HOMEがあるからだ。芭蕉の場合は庵か。
起承転結のついた噺が面白いのと同じだ。
庵で事も無く暮らす「起」から、旅支度を始める「承」、旅の途中は「転」、庵に戻って「結」。
起・承だけがずーっと続く噺を聞きたいとは思わない。もし転で噺が終わってしまったら、もやもやして不安になるだけだ。落ちが気がかりで仕方ない。
だから人はわざわざ旅に出る。「帰ってくる」ために。落ちを求めて旅に出る。
庵を結んでおこう。人生を楽しむために。
旅が辛くなったら思い出せばいい。いざとなったら帰ってくればいい。
しばらく寝て過ごしたら、結局は笠の緒を付け替える事になるんだろうさ。
あ、偶然だけど、庵って結ぶって言うねぇ。なぜ?
風の吹くままに、人づてに聞いた絶景を眺めに、たまには良い土地にとどまって。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、 去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。
もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、
草の戸も住替る代ぞひなの家
面八句を庵の柱に懸置。
旅をしたいと思う心を綴っているだけでこちらまで旅へと誘う。おくのほそ道は素晴らしい作品だ。
なぜここまで人は旅に出たがるのか。それはHOMEがあるからだ。
松尾芭蕉も旅から帰ってしばらくは落ち着いてるんだけど、春になると気もそぞろ、どうにも旅に出たくて仕方なくなってしまう。
それは全て帰ってくるべき場所、HOMEがあるからだ。芭蕉の場合は庵か。
起承転結のついた噺が面白いのと同じだ。
庵で事も無く暮らす「起」から、旅支度を始める「承」、旅の途中は「転」、庵に戻って「結」。
起・承だけがずーっと続く噺を聞きたいとは思わない。もし転で噺が終わってしまったら、もやもやして不安になるだけだ。落ちが気がかりで仕方ない。
だから人はわざわざ旅に出る。「帰ってくる」ために。落ちを求めて旅に出る。
庵を結んでおこう。人生を楽しむために。
旅が辛くなったら思い出せばいい。いざとなったら帰ってくればいい。
しばらく寝て過ごしたら、結局は笠の緒を付け替える事になるんだろうさ。
あ、偶然だけど、庵って結ぶって言うねぇ。なぜ?
by embryo_3
| 2006-01-21 08:28
| 日記