2006年 06月 14日
―――空気を読むんだ |
夫婦の寝室は絶対に別にする。
これが俺のポリシーである。俺は自分が寝るのを邪魔されるのがすごく嫌いなのである。おそらくお腹が空いている時に面倒な事を片付けようとするよりも眠い時のそれの方が遥かにイライラする。経験的にそう思う。
だから寝室は別である。起きるのも寝るのも自由にさせてくれ。セックスが必要な時には夜這いに行けばいいじゃないか。
俺は寝室で俺のやりたい事をやっている。残った仕事を片付けたり、眉の手入れをしたりしているかも知れない。あなたにも寝室があって、そこで化粧をしようが鼻毛を抜こうがそれはあなたの自由だ。そしてある夜のひと時を君の部屋で過ごす。それは甘美なひと時だ。
翌朝、俺は外に仕事にいき、あなたは家で仕事をする。その二つの分業は、家庭というパッケージに入っている。
俺は人生で俺のやりたい事をやっている。飯を食ったりゲームをしたり、風呂に入っているかも知れない。あなたにも人生があって、そこで学校に行ったり家の手伝いをしたり友達と遊びにいったりする、それはあなたの自由だ。そしてあるひと時をあなたと過ごす。それは甘美なひと時だ。
翌朝、俺は自分の人生に戻り、あなたも自分の人生に戻る。その二つの人生は、恋愛というパッケージに入っている。
====
FW研究会で「重い女ってどんな女?」と聞かれたので、「あなたが重いと思う男と似たような行動を取る女が重い女です」と答えた。「それって例えばどんな?」と言われたので、そんな話をしました。
俺は俺、あなたはあなた。
なぜ夫婦は家庭という殻にこもって、「そもそも1人で片付ける事」を「わざわざ分業」してるのか。それはそっちの方が楽だからです。「私が1人でもやれる事だけど、一気に2つやるのめんどいからさ、2人で1つずつやらない? そっちのが楽じゃん?」という契約によって成り立っているのです。
「私が1人でもやれる事だけど」というのが最重要ポイントであって、「私何も出来ないけど、貴方に教わりながらで良ければ分業しましょう」というのは結局、監督のために“貴方”の手を煩わせます。楽じゃありません。しかも“貴方”にとっては1人でも出来る事なので“私”がやるのを見てる間に自分でやってしまった方が効率的なのです。
仕事上のパートナーに対して責任を持つのは普通の事です。相手の期待に応え、手を煩わせない。これが出来ないとパートナーとしては最低レベルです。そして、自分のパートナーがオフの日に何をしているかを詮索しはじめたら、それはストーカーです。そこは個人の勝手というものです。
仕事上のやり取りで最も重要な事は価値観の共有です。このプロジェクトが何を目指しているか、どういった経緯をたどるのがベストか、ゴールはどこか。このやりとりをうまく行っていないと、プロジェクトは空中分解してしまいます。「企画のための会議」が「会議のための企画」になってしまうと結局そのプロジェクトは煮詰まっていき、最後には凍結か白紙に戻されるという展開になるのです。
恋愛というのもまさにそうで、個人が個人として尊重されていない――― 一方が他方の足を引っ張るといった恋愛は、全く馬鹿げています。個人でやっていける人生において、ちょっとした苦労の分かち合いであるとか、楽しみの共有であるとか、セックスとか、セックスとか、セックスとか、そういうものが恋愛のファクターなのです。 朝の挨拶、ご飯時の会話、セックスの後のピロートーク、何時間でもある語り合う時間にちゃんと価値観を共有してください。あくまでも、「手段としての会話」が重要なのであって、「会話する事が目的」になってはいけません。それは「個人同士の付き合い」という本来の目的を忘れ去ってしまった悪い恋愛です。大体においてそういった恋愛は「お前ちょっと重いんだよね」という言葉で破局となります。
仕事においてはミスをしない事で「可」、期待に応える事で「良」、期待以上の成果で「優」ですが、そういった評価を得るためのスキルより重要なスキルは「ミスをリカバーするスキル」です。例えどんなミスをしても責任を取れればその件に関してはクリア(可)という事になります。人生の場合、人生が終わるその瞬間まで全ての行動について責任を取れます。最悪死ねば全ての責任がチャラになります。これは非常に恵まれている事ではないでしょうか。何か失敗して相手を傷つけた・嫌われたと思うような事があっても、どうやったらリカバー出来るか、をとりあえず考えてみるといいと思います。
とりあえず、恋愛中の男女においては何を置いてもセックスしときゃー問題は解決するのです。「オナニーの回数が増えたらピンチだ。会う時間が無いならテレフォンセックスでもいいから、より生に近い性活動をせよ」と説いてまわるほど。
……まあ、それは誇張しすぎですが。
これが俺のポリシーである。俺は自分が寝るのを邪魔されるのがすごく嫌いなのである。おそらくお腹が空いている時に面倒な事を片付けようとするよりも眠い時のそれの方が遥かにイライラする。経験的にそう思う。
だから寝室は別である。起きるのも寝るのも自由にさせてくれ。セックスが必要な時には夜這いに行けばいいじゃないか。
俺は寝室で俺のやりたい事をやっている。残った仕事を片付けたり、眉の手入れをしたりしているかも知れない。あなたにも寝室があって、そこで化粧をしようが鼻毛を抜こうがそれはあなたの自由だ。そしてある夜のひと時を君の部屋で過ごす。それは甘美なひと時だ。
翌朝、俺は外に仕事にいき、あなたは家で仕事をする。その二つの分業は、家庭というパッケージに入っている。
俺は人生で俺のやりたい事をやっている。飯を食ったりゲームをしたり、風呂に入っているかも知れない。あなたにも人生があって、そこで学校に行ったり家の手伝いをしたり友達と遊びにいったりする、それはあなたの自由だ。そしてあるひと時をあなたと過ごす。それは甘美なひと時だ。
翌朝、俺は自分の人生に戻り、あなたも自分の人生に戻る。その二つの人生は、恋愛というパッケージに入っている。
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FW研究会で「重い女ってどんな女?」と聞かれたので、「あなたが重いと思う男と似たような行動を取る女が重い女です」と答えた。「それって例えばどんな?」と言われたので、そんな話をしました。
俺は俺、あなたはあなた。
なぜ夫婦は家庭という殻にこもって、「そもそも1人で片付ける事」を「わざわざ分業」してるのか。それはそっちの方が楽だからです。「私が1人でもやれる事だけど、一気に2つやるのめんどいからさ、2人で1つずつやらない? そっちのが楽じゃん?」という契約によって成り立っているのです。
「私が1人でもやれる事だけど」というのが最重要ポイントであって、「私何も出来ないけど、貴方に教わりながらで良ければ分業しましょう」というのは結局、監督のために“貴方”の手を煩わせます。楽じゃありません。しかも“貴方”にとっては1人でも出来る事なので“私”がやるのを見てる間に自分でやってしまった方が効率的なのです。
仕事上のパートナーに対して責任を持つのは普通の事です。相手の期待に応え、手を煩わせない。これが出来ないとパートナーとしては最低レベルです。そして、自分のパートナーがオフの日に何をしているかを詮索しはじめたら、それはストーカーです。そこは個人の勝手というものです。
仕事上のやり取りで最も重要な事は価値観の共有です。このプロジェクトが何を目指しているか、どういった経緯をたどるのがベストか、ゴールはどこか。このやりとりをうまく行っていないと、プロジェクトは空中分解してしまいます。「企画のための会議」が「会議のための企画」になってしまうと結局そのプロジェクトは煮詰まっていき、最後には凍結か白紙に戻されるという展開になるのです。
恋愛というのもまさにそうで、個人が個人として尊重されていない――― 一方が他方の足を引っ張るといった恋愛は、全く馬鹿げています。個人でやっていける人生において、ちょっとした苦労の分かち合いであるとか、楽しみの共有であるとか、セックスとか、セックスとか、セックスとか、そういうものが恋愛のファクターなのです。 朝の挨拶、ご飯時の会話、セックスの後のピロートーク、何時間でもある語り合う時間にちゃんと価値観を共有してください。あくまでも、「手段としての会話」が重要なのであって、「会話する事が目的」になってはいけません。それは「個人同士の付き合い」という本来の目的を忘れ去ってしまった悪い恋愛です。大体においてそういった恋愛は「お前ちょっと重いんだよね」という言葉で破局となります。
仕事においてはミスをしない事で「可」、期待に応える事で「良」、期待以上の成果で「優」ですが、そういった評価を得るためのスキルより重要なスキルは「ミスをリカバーするスキル」です。例えどんなミスをしても責任を取れればその件に関してはクリア(可)という事になります。人生の場合、人生が終わるその瞬間まで全ての行動について責任を取れます。最悪死ねば全ての責任がチャラになります。これは非常に恵まれている事ではないでしょうか。何か失敗して相手を傷つけた・嫌われたと思うような事があっても、どうやったらリカバー出来るか、をとりあえず考えてみるといいと思います。
とりあえず、恋愛中の男女においては何を置いてもセックスしときゃー問題は解決するのです。「オナニーの回数が増えたらピンチだ。会う時間が無いならテレフォンセックスでもいいから、より生に近い性活動をせよ」と説いてまわるほど。
……まあ、それは誇張しすぎですが。
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by embryo_3
| 2006-06-14 21:03
| 語り